天空の蜂
作品DATA
天空の蜂
  • 出版社 講談社(ISBN:4062077043)
  • 発刊日 1995/11/15
  • ノベルス 講談社ノベルス(ISBN:4061819895)
  • ノベルス発刊日 1997/11/05
  • 文庫化 講談社文庫(ISBN:4062639149)
  • 文庫発刊日 1998/11/15
  • Detail 第17回吉川英治文学新人賞候補作
    文庫の解説は同賞を受賞した真保裕一さん
  • お薦め度 ☆☆☆☆☆
  • お気に入り指数 ☆☆☆☆☆
作品Outline
錦重工業が防衛庁に納入予定だった掃海ヘリ「ビッグB」が、何者かに奪取された。領収飛行(最終チェック飛行)の直前に、遠隔操作によって飛び立ったものである。
皮肉な事に、この超大型ヘリコプターには、開発メンバーの一員である山下の息子、恵太が乗り込んでいた。男児にありがちな好奇心が招いた奇禍であった。恵太の存在に気付かなかった犯人は、「ビッグB」を予定通りに離陸させ、当初からの目論見どおり、敦賀の原子力発電所上空でホバリングさせる事に成功する。
犯人の目的は、日本で稼動・点検中の原発を、全て使用不能にする事にあった。その要求を実行しない場合には、高速増殖原型炉『新陽』に「ビッグB」を墜落させる、との脅迫状が届けられた。迅速な対応を講じなければ、燃料切れによる墜落の可能性もある。
事件関係者には、恵太の救出と原発施設周辺の安全確保、犯人捜査という、何層もの難題が突き付けられる事となった。

卓抜たる頭脳と英知がぶつかり合う、長編クライシスサスペンス。

作品Review
『天空の蜂』は、某年8月7日午前5時に、犯人の一方的な意思によってスタートした「ゲーム」が、同日の午後2時30分過ぎに終結するまでを描いた物語です。
時間にすれば僅か9時間半―、フランスへの日本人旅行者ならば眠りに就いている間の出来事ですが、登場人物にとってはこの上もなく過酷な、そして読者とっては思い掛けない程に濃密な時が刻まれて行きます。

序盤の興味は、その殆ど全てが、「ビッグB」と共に天空に置かれる事となった少年の救出作戦に注がれる、と言っても過言ではないでしょう。作者が自衛隊航空救難団の知恵を借りたという救出シーンには、フィクションとは思えない程の臨場感が漂っていました。
中盤は、降り募る負の感情を払い除け、前向きに奔走する人々の様子が描かれています。推進派・反対派、そのどちらにも与しない、「徹底的にニュートラルな立場で描こうと決意した」という作者の視線を通して、読者は、自分なりの「原発観」を構築して行く事になるのでしょう。
終盤では主に、犯人の企図した事とその背景にあった出来事が語られます。犯人が使った「沈黙の群集」 という言葉の意味を精査しながら、読者は、安寧と哀切、感動が入り混じるエンディングを見届ける事となります。

原発問題を中心に据えた物語ですが、その是非を問う事が主題ではありません。無論、相応の問題提起はなされますが、日本社会を根幹の部分で支える人々の真摯な生き方を伝える事にも、多くのページが割かれています。

「ビッグB」の開発者・原発施設の実務者・自衛隊航空救難団の隊員―、高速増殖原型炉「新陽」の危機を回避するために尽力した人々からは、溢れ出る程の煌きが見て取れました。
犯人探しに奔走した福井県警の刑事さんにも、東野作品のシリーズ物を担当して欲しいと思うほどの魅力が漂っていました。
けれども、私が最も心惹かれたのは、この事件の犯人、大勢の人々の生命を危険に晒し、国家を相手に不当な要求を突き付けたテロリストでした。犯人が最後に送ったファックス文書を読むと、不覚にも涙がこぼれます。「虚しかった」とする彼の心情にシンクロするものがあるからです。
「沈黙の群集」にメッセージを伝えるには、最悪にして最高の手段であったかもしれないと感じました。

私自身の、原発に対する関心がとても高まっている時に、『天空の蜂』は刊行されました。当時暮らしていた町に隣接する地域が、原発誘致問題で、大きく揺れていたからです。
原発施設の必要性は認識していても、その周辺地域で生活する事には抵抗があります。当該地域は経済的に潤いますし、地域住民の雇用拡大にも繋がりますが、これを無条件で喜ぶ人は殆ど存在しないでしょう。窮余の一策に近い感覚を伴っていると思います。
自分自身の中に存在するエゴイスティックな感情と向き合う事を余儀なくされた部分も少なくありませんでしたが、「沈黙の群集」の一人である私には、様々な要素を含有した良著となりました。

2005年8月19日に更新
Et cetera

『天空の蜂』には幾つもの特筆すべき事項が存在します。

  • 刊行時は、作者の発行物の中で、最も「分厚い」本であった。
  • 本作の刊行直後に、モデルとなった高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏洩事故が起こったため、東野さんは、「事故後に上梓していたならば、違う結末になっていたかもしれない」と語った。
  • 作者は、本作の取材と研究活動に、足掛け3年の歳月を費やした。故に東野さんは、「今まで書いた作品の中で一番思い入れが強いのはどれかと訊かれれば、これだと答えるだろう」と述べている。
  • 架空の掃海ヘリを高速増殖原型炉に墜落させるという設定である事から、それぞれの構造説明・解説に、相当数のページを割いている。予備知識を持たない人間でも容易に理解できるように配慮されているが、サスペンス物の醍醐味を味わいたいと願う一部の読者の間では「飛ばし読み」が流行した。
  • 吉川英治文学新人賞の候補作となるが、落選。同賞を受賞した真保裕一さんが文庫版の「解説」を担当して帳尻(!?)を合わせる。
  • 僅か9時間半の出来事を描いた物語だが、一組の男女の19年間の系譜を綴った『白夜行』よりも、登場人物の数は多い。

本書は何度も読み返していますが、初めて手にした時には、かなりの箇所を飛ばし読みました。緊迫感あふれる作品なので、以降の展開を早く知りたいという誘惑に負けてしまったからです。
それによって物語の面白さが減殺するような事はなかったように思いますが、『天空の蜂』の魅力を余す所なく堪能するには、やはり全文に目を通した方が良さそうです。
「ビッグB」の製造工程を記した部分からは、技術的な事を把握するだけでなく、「もの作り」に関わる人々のひたむきな努力・たゆまざる探究心・爽やかな情熱といったものがが見て取れましたし、それがこの作品を、更に魅力的なものへと押し上げていました。原発に関する記述についても同様の事が言えます。

最多ページホルダーの座は、後発の作品に明け渡しましたが、台詞を持つ登場人物の数は、本作が他を圧倒しています。
中には、同一設定で名前が変わってしまった登場人物も存在します。暇を持て余している、という方は、分身探しを楽しんでみてください。

『天空の蜂』が、「もんじゅ」のナトリウム漏洩事故前に刊行された事を僥倖と捉えています。この事故を考慮していれば、本作の、エンターテイメントとしての魅力が薄れてしまったのではないかと考えるからです。『天空の蜂』は、社会派小説の要素が加味された娯楽小説であるからこそ素晴らしいのだと思っています。

東野さんは、第17回吉川英治文学新人賞の落選について、以下のような事を語っています。

もう新人でもないだろうと思うのだが、『天空の蜂』が吉川英治文学新人賞の候補に挙がった。正直いうと、わりと自信があった。でもやっぱりとれなかった。落選した夜、編集者とやけ酒を飲んでいたところ、受賞者の真保裕一と遭遇した。あっちがやけに恐縮していたのがおかしかった。その後真保裕一は文学賞をとりまくり、そのたびに私は二次会で挨拶をさせられるのだ。真保裕一に「おめでとう」と心にもないことをいうのは飽きた。それでもきっと彼は直木賞か何かとっちゃうんだろうなあ。そしてまた挨拶をさせられる羽目になり、嘘笑いを浮かべることになるのだ。あー、いやだ、いやだ。
この一文を目にした後で読む文庫版の解説には、趣深いものがあります。
『天空の蜂』の登場人物一覧
湯原一彰 錦重工業航空機事業部本部、回転翼機研究開発課に勤務。「Bシステムプロジェクト」の開発責任者。
湯原篤子:一彰の妻 / 湯原高彦:一彰の息子 / 山下:湯原一彰の部下・「Bシステムプロジェクト」の開発メンバー / 山下真知子:山下の妻 / 山下恵太:山下の息子・彼の乗り込んだ「ビッグB」が奪取され、生命の危機にさらされる。 / 笠松:錦重工業航空機事業部本部、技術本部長 / 三島幸一:錦重工業原子力機器事業部、設計課勤務 / 三島智弘:三島の息子 / 宮本:錦重工業航空機事業部「ビックB」の整備士 / 岡部:錦重工業航空機事業部本部、総務部課長 / 佐藤伸男:錦重工業重機事業本部長 / 赤嶺淳子:錦重工業航空機事業部本部、エンジン開発一課勤務 / 友野:錦重工業航空機事業部本部、エンジン開発一課長 / 中塚一実:高速増殖原型炉「新陽」発電所所長 / 飯島:高速増殖原型炉「新陽」発電所副所長 / 小寺:高速増殖原型炉「新陽」発電所総合技術主任主任長 / 西岡:高速増殖原型炉「新陽」運転課長 / 筒井:原子炉・核燃料開発団本社理事 / 花岡:原子炉・核燃料開発団本社企画部長 / 加藤幸弘一佐:防衛庁駐在官 / 中林:防衛庁技術研究本部航空機開発一部所属開発官 / 戸田:防衛庁調達実施本部所属担当係官 / 大江:防衛庁調達実施本部担当係官 / 楢山:防衛庁技術研究本部航空機開発一部開発官 / 八神:航空自衛隊小松基地航空救難隊長 / 大場:航空自衛隊小松基地航空救難副隊長 / 根上:航空自衛隊小松基地航空救難隊三佐 / 植草:航空自衛隊小松基地航空救難隊一等空曹 / 上条孝正:航空自衛隊小松基地航空救難隊二等空曹 / 金山滋:福井県知事 / 山根:副知事 / 長内:福井県原子力安全対策課長 / 諸田:福井県防災課長 / 石倉尚介:官房長官 / 室伏周吉:福井県警捜査一課勤務 / 関根:福井県警捜査一課勤務 / 今枝:福井県警本部勤務・警備部長 / 佐久間:福井県消防本部勤務・特殊災害課長 / 木谷:愛知県警刑事部長 / 吉岡:愛知県警捜査一課長 / 石橋:愛知県警公安一課長 / 高坂:愛知県警捜査一課特捜班・警部 / 二瓶:愛知県警防犯課勤務・電子工学科出身 / 芦田:警察庁長官 / 結城:警察庁捜査一課長 / 藤田:資源エネルギー庁原子力発電課長 / 穂積:資源エネルギー庁原子力発電運転管理室長 / 岩橋:資源エネルギー庁公益事業部長 / 梅宮定彦:帝都大学工学部助教授 / 浅川:首相 / 土村:ミニコミ誌の編集長 / 末野:原発反対派の老人 / 吉倉:帝都大学助教授・反原発運動の指導者 / 田辺泰子:早世した息子(佳之)の労災認定を求める署名活動をしている / 川村貴男:田辺佳之の友人 / 九谷良介:三島智弘の同級生 / 九谷賢次:良介の父親・食料品の輸入会社勤務 / 九谷安恵:良介の母親 / 雑賀勲:田辺佳之の友人 / 藤井道雄:放射能除染作業会社の現場監督 / ハチダ:掃海ヘリ強奪犯・恐喝犯の一人