東野圭吾さんのProfile
御曹司の誕生
1958年  2月4日、大阪市生野区の、時計メガネ貴金属店経営者の長男として誕生する。つまり御曹司である。 本来はトウノと読んでいたが、お父上が勝手にヒガシノと変更なさったらしい。
三つ子の魂百まで(実際には四歳だが…)
1962年   自宅から1キロほど離れたところにある公園に初めて行き、迷子となる。警察に保護されるも、大相撲観戦に夢中だったご両親は御曹司の失踪に気付かずに放置―、長時間の拘束を余儀なくされた。
この公園は、『白夜行』の冒頭シーンに登場する。幼児期に萌芽した怨念を晴らした恰好だ(どこが?)。
演説会と演芸会と間違えて…
1968年   児童会副会長に立候補。お笑いネタ満載の原稿を用意し、見事当選を果たす。演説会と演芸会を混同した事が功を奏した。
この年に発生した「3億円強奪事件」に深い感銘を受け、知能犯への憧れが醸成される。
『アルキメデスは手を汚さない』に魅せられて
1974年   前年に大阪府立阪南高等学校への入学を果たす。怠学・万引き・ゲーセン通い・可愛い女生徒コンテスト・片想い等で青春を謳歌していたが、小峰元さんの『アルキメデスは手を汚さない』との出会いで文学にも目覚め、小説を書き始める。タイトルは『アンドロイドは警告する』。
アーチェリーとの出会い
1977年   大阪府立大学工学部電気工学科入学。勧誘員の穏やかさに騙されて洋弓部に入るも、実態は地獄さながらの世界であった。新歓コンパでの惨状(詳細は『あの頃ぼくらはアホでした』を参照の事)には、胸が塞がれる。だが、中途挫折には至らず、後年は主将に選ばれて、チームを「下位」リーグ入りに導いた。
乱歩賞を目指す
1981年  日本電装株式会社入社。役に立たない社員である事を悟った東野さんは転職を模索し始める。多少の試行錯誤はあるものの、「小説家にならない理由がない」と、乱歩賞に挑戦する決意を固めた。五ヶ年計画が三ヶ年での目標達成だから、天晴れなものである。
森雅裕さんと共に雛壇に立つ
1985年   『放課後』第31回江戸川乱歩賞を受賞、同時受賞の森雅裕さんと共に、世間の脚光を浴びる。サクラを擁した初サイン会の盛況に気をよくし、二度目に挑むが、チラシの裏に一枚書いただけの結果に終わる。
翌年に退社、上京する。講談社の人々は「簡単に会社を辞めて上京するなんて、なんというおっちょこちょいだ」と眉を顰めていたらしい。乱歩賞受賞時からのファンである管理人も、この決断の早さには大層驚いたものだった。
いつの間にやら売れっ子作家
近年   『放課後』級のヒット作を生むまでには10年以上の歳月を要したものの、執筆依頼が滞る事はなく、いつの間にやら売れっ子作家の仲間入りを果たしていた。
『秘密(文藝春秋/1998)』が第52回日本推理作家協会賞を受賞した事で、「無冠の帝王」の座も明け渡した。
デビュー20周年目に前人未到の快挙
2006年初頭   2005年8月に刊行された『容疑者Xの献身』が、『このミステリーがすごい!2006年版』・『本格ミステリ・ベスト10 (2005)』・『週刊文春 傑作ミステリーベスト10』の第1位を獲得。史上初の三冠を達成した。
同書は更に、作者にとっては6度目となる直木賞候補作にも推される。最多ノミネートホルダーへの道を邁進するものと思われたが、蓋を開けてみれば、満票に近い評価を得てあっさりと受賞――、「勝てて良かった」という弁を残した。
また、著者の最高傑作との呼び声が高い『白夜行』が、ドラマ化の影響を受けて驚異的なセールスを記録し、ミリオンセラーとなった。
快進撃は続く
現在 2006年5月、『容疑者Xの献身』が第六回本格ミステリ大賞を受賞し五冠達成。 直木賞受賞第一作となった『赤い指』もベストセラーの仲間入りを果たす。 また、2003年に刊行された『手紙』の映画化は、更なるファン層の拡大をもたらした。

冬場は、雪を求めて東奔西走する作者だが、メディアに引っ張りダコのこの冬に、こちらのボードの出番はあるのか!?

このイメージ画像は、如々子さん作です。