書評家が語る「放課後」 -「江戸川乱歩賞と日本のミステリー」より-
長きに渡って江戸川乱歩賞の予選委員を務めて来られた関口苑生さんの著作「江戸川乱歩賞と日本のミステリー」から、東野圭吾さんについて語られた部分だけを抜粋し、紹介させていただきます。
江戸川乱歩賞に関する興味深い話がぎっしりと詰まった書籍ですから、宜しければ 、全文に目を通してみてください。
  • 単行本: 421 p ; サイズ(cm): 19 x 13
  • 出版社: マガジンハウス ; ISBN: 4838712049 ; (2000/05)
  • 内容(「BOOK」データベースより)
    ここまで骨太なミステリー論があっただろうか?江戸川乱歩賞の世界。そのすべてがわかる。ミステリーの歩み、流れ、歴史が見えてくる。日本の戦後社会の本当の姿が浮かび上がってくる。
『魔球』が受賞を逃した理由
旧公式サイトには、『魔球』が落選した時の様子が紹介されています。
そこには、「担当者が『今回は非常に惜しかったので、ぜひ来年も応募してください』といってくれた」と記されていましたが、「江戸川乱歩賞と日本のミステリー」にも「惜しかった」事実を裏付ける記述がありました。
惜しかったのは(受賞の)前年の『魔球』で、高校野球をテーマにした上質の青春ミステリーであったのだが、最大の謎である「魔球」の正体をめぐって議論が百出、受賞を逃した経緯があった。のちに改稿されてこの作品は出版されているが、その魔球の部分は当然のことながらうまく訂正されてある。
せっかくだから、ここで改稿前の正体を書いておくと―。(P.263の6行目〜10行目より転載)
旧公式サイトでは更に、『放課後』募集時の裏話にも触れています。担当の人から、「原稿の進み具合はどうか」「早く仕上がったら応募前に見せてほしい」という内容の電話を受け取っていたとの事でした。
東野さんは「そんなのはフェアじゃない」と思って断り、それを読んだファンは「そうだ!それでこそ東野圭吾だ」と喝采したものですが、「江戸川乱歩賞と日本のミステリー」を読むと、ほんの少し考え方が変わります。

選考委員の皆さんには、良質の作品を選び出したいと考える一方で、将来性ある人の芽を摘むような真似はしたくないという思いが存在するようです。東野さんに対しては、その後者の意識が強く働いた事から来る「応募前に見せてほしい」だったと想像しました。
福井晴敏さんの項では、そうした思いがより具体的に表現されています。興味がある方は本文でご確認ください。

時代感覚を先取りした「動機」
第31回江戸川乱歩賞の選考委員からは、殺人の「動機」についての辛口批評が多出しました。しかしながら関口さんは以下のような言葉で反論しています。
それ(動機に関する批判)は的外れな意見であったと思う。小説の読み方、文学観の違いを言えばきりがなくなるだろうけれど、わたしはまったく逆の感想を抱いたのだった(中略)。
キレたらすぐにナイフを振り回すという理由なき犯罪はともかくとしても、彼らがキレるにいたった事情は余人には窺い知れない部分がある(中略)。この作品の犯人にしても、「それ」が本人とっては一生を左右する重大事であると思い込むのは、十分に説得力がある。
もう少し突っ込んだ言い方をすれば、この犯人の殺人動機は、受賞当時としては信じられないようなものであったかもしれないが、今になって思えば、きたるべき時代の人間性――、精神の危機を見事に先取りしたものになっている。東野圭吾の時代を見る目の確かさ感じざるを得ない。(P.265の16行目〜P.266の7行目より転載)
動機に関しては、佐野洋さんも「推理日記W(ISBN:4062630281)」の中で同様の意見を述べています。
−選考委員の評を読むと、動機がおかしいとか、不必要なエピソードがあるとか、何人かが共通して指摘していましたが。
「いや、ぼくは必ずしもその意見には賛成しないんだ。動機の点にしても、犯人の年齢などを考えれば、多少エキセントリックであるにしても、あり得ることだと思うし…。妻に関するエピソードは、むしろ、あれによって、結末の効果を上げているという評価をしているんだ」(「二つの乱歩賞作品」の章より転載)
「推理日記W」で語られている「不必要なエピソード」に関しても、関口さんは、「主人公の成長ぶりを描くための素晴らしい伏線」と賞賛しています。
時代の反射鏡たる役割を確実に備えた「名作」
「江戸川乱歩賞と日本のミステリー」では、『放課後』に関する書評を以下のような言葉で括っています。
意識的であろうとなかろうと、優れた小説というものはその時代時代の風俗や意識の流れ、顕在するにせよ、潜在するにせよ、社会の腐敗部分をどこかしら描いているものである。
学園ミステリーとはいえ、東野圭吾の『放課後』は、そうした時代の反射鏡たる役割を確実に備えた名作ではなかったかとの思いが強い。(P.266の15行目〜18行目より転載)
「名作」であるかどうかは、意見が分かれるところでしょう。ただ、20年の歳月を経ても尚多くの人に読み継がれているその理由に、思い至らせる内容ではあります。
「江戸川乱歩賞と日本のミステリー」を読んだ感想
私は『放課後』以来のファンですが、「動機」には釈然としないものを感じていました。
ところが、『放課後』が発表された年に生まれた女性に、「他人から見れば釈然としない動機で人を殺せる、それが高校生ではないの?」と言われ、目から鱗的な心境を味わった事があります。因みに彼女は、『アルキメデスは手を汚さない』『ぼくらの時代』『放課後』の中で、唯一『放課後』だけが古さを感じる事なく読了できたとも言いました。「この三作の中では『放課後』が一番新しい作品ではあるけれども、例えば『ぼくらの時代』を7年早くに読んでいたとしても、結果は同じだったと思う」との事でした。
こうしたやり取りを経験していたせいか、書評そのものよりも、関口苑生さんの時代を読み取る慧眼に、感心させられる事が多かったように思います。

「江戸川乱歩賞と日本のミステリー」には、ミステリファンを狂喜乱舞させる(時には震撼とさせる?)記述が数多く登場します。東野さんが登場する章は、全体から見れば寧ろ味気ない部類に属するでしょう。
贔屓の乱歩賞作家がいる方には、是非にもお薦めしたい一冊です。